人は創作物ではやはり現実離れしたものを求めるのか

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アニメなんかでよく見かけるのが、決まってすごい背景を持つ人物が主人公の周りにたくさんいて。。。みたいなのが多い。

最近観てる私たちのリメイク?というアニメで、主人公の友人の中に医者の息子で家業を継ぐことを言われ親と喧嘩し、芸術大学で授業料を全てをバイトを頑張りながら自分で払っている奴がいる。ある日、すごい裕福で上品などこかの令嬢が突然現れて自分は彼の婚約者だと言う。大学の授業料が払えなくてバイトを無理して倒れるような状況に落ちいている奴に周りの環境があまりに違和感があるし、そもそもこういう設定が本当に多いのだ。

最近創作とアウトプットに興味を持つようになってるが、やはり創作物に求められるのはこのような現実では正直あり得ない非現実なのだろうか。現実は言わなくてもよくわかってるし毎日のように目の当たりにしているからせめて創作物では非現実を求めるのだろうか。非現実にたっぷりハマったあと現実に戻された時の辛さはなんともないだろうか。

自分はいつも現実に引き戻される時はとても辛いと感じている。
例えば、このようなこと。

・一泊二日の旅行から帰る時、明日からまた仕事に、職場に行かないといけないと思うだけで絶望的な気分になる

・金曜日の夜は楽しくても明日の出勤のことを考えると、日曜日に夜は憂鬱になってしまう

・とても感銘を受けたアニメや映画、特にその世界が理想的でいくら創作の世界とはいえ、その世界で住みたいと思うほど惹かれていた場合、観終わって現実に戻ると、作品の世界と現実はあまりにもかけ離れているので、脱力感と絶望感に押し潰されそうになって憂鬱になってしまう

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まあ、この心理を客観的に見てみると、単に今自分が現実に満足できていない生活をしているので映画やアニメなんか観てる場合じゃなくて、とっとと現実を改善に勤しんだ方がいいんじゃないかと理性はそう言うけど、そう簡単な話ではない。

なんでも理性の言う通りに動けるのならいいけど、人間はそういう作りにはなっていないのだ。人間は感情で動くものだからそういうことは期待できない。

しかし、周りを見ていると、いわゆる現実とアニメの中との切り替え(または割り切ること)が上手い人がたくさんいることに驚く。自分はそれができないで苦労しているのにそれがあっさりとできている人がほとんどだ。みんな大人なのに自分だけは大人になっていないようで悔しい気分になる。

切り替えが上手い人たちは「それはそれ、これはこれ」みたいなことを平気で言う。仕事が終わった瞬間、仕事のこと、職場のことは綺麗さっぱり頭から消え、完全にプライベートモードに切り替わって、プライベートを充実させる。

要するにアニメはアニメとして、現実は現実として切り分けがしっかりされていると言うことだ。だからこそ、アニメはアニメらしく非現実であった方がいいので、つまんない現実の話をアニメでも同じくやってしまうとそれこそアニメを観る理由がないから、アニメで非現実を十分楽しんで、現実は現実で頑張るという考え方の人がたくさんいる。

素直に尊敬する。自分にはそれができない。

だからあまりに感情移入してしまう作品、現実とかけ離れすぎている作品はできる限り避けている。観終わって現実に引き戻された時の反動がすごいからだ。

アニメの中には日常系というものもたくさんあるにはあるけど、ほとんどはやっぱりファンタジー的なものが多い。また、日常系とはいうものの、よく観てみるとその中で描かれている世界は違和感しかないほど平和すぎる場合が多い。

結局、自分みたいな切り替えが苦手な人は少数で大体の人は切り替えがうまくできていて、そのニーズを汲んだ作品が世の中にたくさん出ている・・・ということかなと思ったりする。

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